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2015年10月4日日曜日

右翼と左翼のウソ (oka01-gremaueidtsjyxlp)

何でも右と左に分けるから、世の中には右と左しか居ないように見える。本来全ての物は右でも左でもない。分け方の基準は、極めて感覚的なものだ。左とは何か。それは、右ではないもの。右とは何か。それは、左でないもの。だから世の中の全てのものは、必ず右か左に別れる。 だが実際には、世の中のほとんどの人は、右でも左でもない。

何が右翼なのか、何が左翼なのか。恐らくほとんどの人は、それに対して漠然としたイメージだけがあり、それが具体的にどういう思想なのか知る人は居ないだろう。筆者は、その無知を責めるものではない。むしろ知らないのなら、そのまま知らないままでよい。右翼が何なのか。左翼が何なのか。それは、右翼と左翼の本質を考えるに当たって、必要のない知識だ。ただ我々は、右翼と左翼という発想自体が持っているトリックについての知識さえあれば良い。


宮崎駿は、アカだろうか。 そもそもアカであることの何が問題なのか。そもそも何故ウヨクである事のほうが望ましいのだろうか。そもそも彼はウヨクだろうか。ウヨクとは何なのか。サヨクとは何なのか。

そもそも上記ツイートの様に、思想を右・左に分類する行為自体が、人々の思考を一定の方向に誘導する為のワナである。この事をもう少し細かに見ていく。



ほとんどの人は、右翼でも左翼でもない。だが自分の考え方を述べるに当たって、自分が右なのか左なのかを表明しなければならない機会は、多い。だが絶対に表明してはならない。何故かといえば、このアイデア自体がひとつの詭弁だからだ。これは、人々が自分の意見を持ちたがらない様に仕向ける、ひとつのトリックだ。

ほとんどの人は、背反的に右と左の定義を捉えている。誰かが右ではないとしたら、それは左であろう、という。あるいは、誰かが左ではないとしたら、それは右であろう、という。 天皇制に賛成であれば右であろう、そうでなければ左であろう。共産主義の存在を認めるのであれば左であろう。そうでなければ右であろう。中国が好きなら左であろう、日本が好きなら右であろう。

そもそもこれをベン図を使って数学的に考えてみると、至極当前な事が分かる。


ほとんどの人は、右でも左でもない。だが自分の意見を述べると、しばしば他人から「お前は右翼だ」「お前は左翼だ」と決めつけられ、なかなか否定出来ない。何故だろうか。それは、「右翼」「左翼」という表現自体が、背理的・対立的(❍ でなければ□・□でなければ❍…という表現)だからだ。



上記の様に、背理的に作られた分類には、無関係な人を誤爆するパワーがある。何故だろうか。人間は「背理」という論理に大きな錯覚を持っているからだ。上記の様に、右でない人、必ずしも左という訳ではない。左でない人が、必ずしも右という訳ではない。だが、人はしばしば「右でない人は左」「左でない人は右」と錯覚する。

※注:ちなみに、この論理上の錯覚は「4枚カード問題」と呼ばれる現象の一種だと考えられる。「4枚カード問題」については、少なくないページが間違った説明をしているので注意が必要。

これは、意図された罠だ。「中国が好きだ」といえば「お前は左だ!」と言われる。「中国が嫌いだ」といえば「お前は右だ」と言われる。「軍隊を持つことに反対」と言えば「お前は左だ」と言われる。「軍隊を持つことに賛成」と言えば「お前は右だ」と言われる。 この様に本来は右にも左にも属していないのにも関わらず、右以外は左左以外は右という人間が根本的に持っている錯覚を利用する事によって、全ての人を必ず右あるいは左として糾弾する事が可能だ日頃の政府宣伝によって、右翼にも左翼にもベットリと不潔なイメージが塗りこまれている。よって他人から「お前は右だ!」「お前は左だ!」と言われると、やむを得ず口をつぐむ以外ない。 繰り返すが、これは、人々が自分の意見を持たない様に仕向ける、意図された罠だ。

この詭弁に対抗する為には、どうすべきだろうか。この背理的詭弁に対抗するに当たって最も大切なことは「自分は右でも左でもない。自分は自分である。」と気付くことだ。


そこに、何でも構わないので、自分自身で考案したカテゴリーを作り、そこに所属する。 他人が作った選択肢は、必ずそこにトリックが仕込まれていると認識すべきだ。他人が作った選択肢は、それを選んでしまった段階で相手の手中に墜ちている。自分が選ぶ選択肢は、必ず自分で作る事が必要だ。自分が提案するカテゴリは、何でも良い。「自分自身」「音楽好き」「ダンサー」「登校拒否」「オタク」「ニート」と言ったカテゴリを、とにかく提示する。そしてそれが「右」とも「左」とも違う、新しい概念である事を提示する。

  • 「僕は僕だ。僕は、自分自身。右でもないし、左でもない。」
  • 「私は私。私は、音楽ファン。右でもないし、左でもない。」
  • 「僕は僕だ。僕は、ダンサー。右でもないし、左でもない。」
  • 「私は私。私は、登校拒否。右でもないし、左でもない。」
  • 「僕は僕だ。僕は、オタク。右でもないし、左でもない。」
  • 「私は私。私は、ニート。右でもないし、左でもない。」

そのカテゴリは、自分自身のインスピレーションに基づいたものであれば、なお良い。自分の感じたインスピレーションが鋭ければ鋭いほど、深ければ深いほど、共感を得る人も増えるだろう。自分の感じたインスピレーションが鋭ければ鋭いほど、自分の感じたインスピレーションが深ければ深いほど、それは人の心に鋭く深く突き刺さる。

そもそも右翼とは、原理的・民族主義の事だ。右翼が主流だった戦前は、日本人とは本来、朝鮮人・満州人を含む広い意味での日本人を指していた。よって日本の極右とは、排外=つまりアメリカとイギリスをアジアから追い出すという事を意味していた。だが今現在日本で見られる右翼を見ると、どれひとつとしてアメリカやイギリスを否定する物はない。つまり、2013年・日本国内で暴れまわっている右翼は、本物の右翼ですらない。 彼らは日本の敗戦後、アメリカによる日本支配を安定させる事を目的として改造された、偽物の右翼だ。

僕らは、右でも左でもない。 和の心を重んずる、日本人だ。





余談(2015年)パクリ書籍について:

この記事を書いた2013年7月から2年の年月が経過したが、2015年9月に当記事に酷似したタイトルを付した本を出版した者がいる。他でもない、この記事の冒頭で紹介した古谷経衡氏だ。

但し、筆者は、盗作行為を許可する。当記事の一部または全てを無断で改変して配布すること、及びその著作物の商用利用も無条件で許可する所存である。また参照したオリジナルソースを表示する義務も課さない。

詳細は 古谷経衡著の『左翼も右翼もウソばかり』パクリ発覚か に著した。


更新記録

- 公開 (Tue, 30 Jul 2013 07:03:59 +0900)
- SEO対策の為、タイトルを『右翼と左翼のウソ』から『右翼も左翼もウソばかり』に変更した。 (Sun, 04 Oct 2015 13:46:59 +0700)
- 余談を追加し、更新日付を最新化した。(Sun, 04 Oct 2015 14:31:02 +0700)
- タイトルを元に戻した (Sun, 04 Oct 2015 15:13:35 +0700)
- 『口をつむぐ』を『口をつぐむ』に修正した。(Mon, 25 Jan 2016 02:09:32 +0700)

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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