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2007年2月16日金曜日

恋し金玉砲 【 koi si kin tamahoong 】 (isaan05-c987254-200702161942)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
恋し金玉砲 【 koi si kin tamahoong 】 (おかあつ)
2007年02月16日 19:42
今、ラオスに来ています。 ビザを作るためです。 日本でビザを申請した時、時間をかけて散々書類を集めた挙句、却下されてしまったため、ほとんどあきらめていたのですが、ラオスで申請したらあっさりとおってしまいました。

タイへの入国期限は5月まであるのですが、入国したあと出国すると、またビザを作り直さなければならないことが分かりました。 しばらくラオスに来ることができないということなのですが、これを機に念願のラオス語の学校に行くことにしました。

わたくしごとできょうしゅくなのですが、ここで日記を公開したいと思います。

日記は、以下に追記式でかいていきたいと思います。 また、ネット接続環境がないので、隔日更新になる予定です。 更新した場合は更新した旨をコメント欄に残したいと思います 。

宜しくお願いいたします。


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☆1 0:49 2007/02/08

今日は、ラオスに来て2日目です。 昨日申請したビザの件はあっさり取れました。 あんまりにもあっさり取れたので拍子抜けするくらいでした。 というのも、日本に居る時にタイ大使館にビザの申請に行っていたからです。 銀行の預金証明から始まって、保証人のパスポート、写真、手紙等々、書類の不備で出直したりもしましたが、申請して2営業日(更に中二日は週末という事で更に2日プラス)待った挙句、申請は却下されました。 そんなこんなで途方にくれていたビザ申請は、ラオスであっさり通りました。

昨日提出しに行った時、「銀行の預金証明... そんなものはいりません。 手紙... あるんですか? じゃぁ下さい。 保証人の写真?一応下さい。」 見たいな感じで、さては...と思っていたのですが、国によって随分差があるようです。

タイの観光ビザを取ろうとしている方、 特に何度も行ったり来たりして6ヶ月で90日ルールに引っかかっている方は、ラオスに行くとあっさり許可されるかもしれません。

その後、ラオス大学に直行しました。 ラオスでの語学留学に関しては色々調べてみたのですが、全く情報なしでしたので、あてずっぽうで「日本語学科があり、日本との交換留学制度がある学校であれば、きっとラオス語を教えている部署があるに違いない」という予想の元で、体当たりで訪れてみました。

来てみたら、日本人が来るのは極めて珍しかったようで、動物園のライオン状態に陥ってしまいました。 とはいえ、偶然、日本の学校から交換留学できている女の子が10人ぐらい、旗を持った人に連れられて歩きながら説明を受けているのを見かけました。

イサーン人の連れに通訳してもらいながら、あちこち歩き回った挙句、留学生案内センターの様な部屋をようやく見つけることが出来ました。 そこの親切なおばさんは、日本語がわかる先生を紹介してくれました。

ラオス語をタイ語に通訳してもらって色々な事を教えてもらいました。 予定が合えばお願いしますという事で連絡先を教えてもらいました。

話が終わった後で、実は僕は日本語が話せるんです、とその先生は物凄い流暢な日本語で僕に話しかけました。 「今日は暑いですね。」と言われて、僕も日本語で応対したのです。

でも、日本と比べると、ほとんど季節のないラオスで急に「今日は暑いですね。」 とか、季節の挨拶をされてしまうと、僕は逆に興ざめしてしまいます。 確かに日本人は季節の挨拶を好みますが、そういう挨拶をするのは、極めて形式的な状況、よく知らない人同士などの場合に限られるように思いますし、なんといっても、僕はそういう遠まわしな日本独特の言い回しが嫌いなのです。 そういう言い回しをすると、すぐに、あの日本独特な「表面的なお付き合い」の世界を思い出してしまうからです。 日本人って本当に仲良くなるのが難しい民族だと僕は思います。

それは、それとして、留学生センターで留学生向けのアパートがある事を教えてもらったのは、これ以上ない幸運でした。 早速そのアパートに向かいました。

10分ぐらい歩いたところに、アパートはありました。 そばまで行ったら、親切な管理人のおじさんが、「ここ!ここ!」と手招きしてくれて、到着しました。 住んでいる人はベトナム人が多いのだそうで、ラオス語ともタイ語とも違う言葉が飛び交っていてにぎやかでした。

管理人さんは凄く流暢な英語を話す人でした。 おもむろに「学校の先生が嫌だったら、実は僕も先生なんだよ」というので、話を聞いてみたら色々なカリキュラムを持っていて1時間200バーツで良いということで、お願いする事にしました。

アパートも、一日一人あたり20000キップ=80バーツ程度でいいよ!ということで喜んでお願いする事にしました。 というわけで、この日記はそのアパートで書いています。いまこうして日記を書いているときも、夜中中話し合っているベトナム人留学生の声が響いています。



TIPS 其の1 ラオスでのお金の使い方

タイからラオスに来ると、結構、お金の数え方で苦労します。 今のレートは、1バーツ=270キップなのだそうですが、例えば1000バーツ程度両替しただけで、すごい量のお金になってしまうのです。 買い物をすると簡単に100,000キップとか、ホテルの支払いが、500,000キップだとか、支払いのたびにすごい桁数の計算をする必要があっててこずってしまいます。 しかも話しがタイ語とラオス語が混ざってしまったりすると、言葉によって位取りの方法が違ってしまったりして更に輪をかけて厄介です。

そんななか、コツがある事を知りました。

其の1 1000キップ単位に数える。
其の2 1000キップ≒3.8バーツ
其の3 とにかく1000で割って4倍すればバーツになる
其の4 必ずパン(1000)単位で値段を言う
     ex) ソンセンバーツ、といわずに、ソンロイパンバーツ



TIPS 其の2 「直接日本円から両替しないほうが良い場合がある」

銀行やその時々のレートの設定によって違うと思うのですが、一旦バーツに両替するとレートが有利になる場合があるようです。

ラオスのとある銀行で見たら、

  10000円 = 2806バーツ
  1円=78キップ
  1バーツ=270キップ
  (1000キップ=3.703バーツ)
  (1000キップ=1.28205円)

でした。 ところが、 ウドンのアユタヤ銀行で両替すると10000円=2904バーツぐらいなので、

10,000円=2,904バーツ=784,080キップ

このラオスの銀行で 直接両替すると

10,000円=780,000キップ

なので、直接両替すると 4,080キップ損します。 また、バーツの両替もタイ国内のほうがレートがかなり良いということが見えてきます。



TIPS 其の3 「バーツ立てで払うとちょっと高めになる。」

どのお店でもサムローの運転手でも ほとんどのケースでバーツ立てで支払いできるそうです。 このとき、良心的な人ではレートの計算がちゃんと3.8になっているのですが、面倒を嫌って4で計算しているケースが稀にあるので、出来るだけキップで支払いをしたほうがよさそうです。



TIPS その4 「サムロー対策(未解決)」

サムローの運転手は、バンコクのタクシーよりタチが悪いような...。 ウドンタニーとビエンチャンを往復したってガソリン代が200バーツを上回る事はないと思いますが、ビエンチャンのサムローは、その辺をチョロッと走っただけで200バーツとか400バーツとか要求します。

経済規模は比較的ずいぶんと大きいであろうウドンタニーで、まる一日働いたって給料が300バーツを超える事はないと思うのですが、そんななかで、ほんの2~3キロ走っただけで、300バーツとか400バーツというのは、とんでもない値段だと思うのです。

そう思って、今日は、結構ネバって頑張ってみたのですが、100バーツ...? ダメだそんな安いんじゃ。という感じで頑として折れてくれませんでした。

こんな値段を毎日毎日支払うようだと、ウドンタニーでバイクを買って持ってきたほうがよっぽど安いぐらいの値段にあっという間になってしまう勢いです。

ラオスの人の値段はそれよりもずっと安いということはもう判明しているのですが、しかし、どうすればいいのか...。



TIPS その5 「道の歩き方」

左側通行の国から行くとどうしてもなじめないのが右側通行です。そんななか、今日、これの良いなじみ方を見つけました。

左側通行の国では、子供の頃から、さながら呪文のように「道を渡るときは右見て左見て右見てわたる」と教わって来たため、そういう行動が内面化して無意識のうちにできるようになっている様な気がします。 だから、何も考えなくてもきちんと安全に道を歩けるわけではないか、と思うのですが、逆向き通行の国に来たら、これを、もう一度、最初からやり直す必要があるのではないでしょうか。 逆向きに。

非常に当たり前な事なのですが、右側通行の国では「道を渡るときは、左見て右見て左見て、わたる」 としなければならないんですね...。 当たり前な事なのですが、意外とやっていないんですよね...。



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☆2 1:54 2007/02/09

今日は、初めての授業でした。 朝、先生が部屋をノックした音で目が覚めました。 昨日のうちに、学校に教科書を買いに行く時は声を掛けてくださいと話してあったからです。 先生は、学校に行くために車を出していたので、乗せてもらって学校に行きました。

本は、先生が作ったという手製のテキストと、留学生向けの本、2冊とがありました。 ちょっと高かったのだけど、日本でほとんどラオス語の教材がないことを考えるととてつもなく貴重だったので、頑張って全部買うことにしました。 この本には、全て発音記号が声調つきで書いてあったのです。 日本で市販されているラオス語の本にはCDは付いていても発音記号は付いていませんでした。 言っちゃ悪いのですが、これじゃ絶対に通じませんので、何も勉強しないのと変りません。 それに、超基礎単語しか書いていないので、ボキャブラリに大いに難があるのです。 僕が知っていることしか書いていない上、それを知っていたからと言って話せるようにならない事ばかりが書いてあって閉口しました。

この本は、ラオスでラオス語の授業を受ける人のために書かれており、極めて実践的でした。 かなり先を見越した上で全部買うことにしました。 一冊60,000キップぐらい(240バーツ=750円程度)でした。

最初の授業は午前11時からでした。 僕の最終目標はラオス語ではなく文字のないイサーン語なので、文字は飛ばして基本的なカンバセーションを習おうと思っていました。先生にも、そうお願いしてあったのですが、実際に授業を受けてみたら、思ったよりも簡単にラオス語が読めることに気が付いたので、この際、教えてもらう事にしました。 僕が普段、イサーン語を耳にしていて随分と聞き覚えのある言葉が多かった事と、タイ語を普段から見ていたので大分文字が頭に入っていたことが、幸いしたみたいでした。

午前中で、超特急で、基本的なコーカイ(ラオス文字)を教えてもらいました。 タイ語は、読めないまでも、文字の名前ぐらいは頭に入っていたのです。 ラオス語は、タイ語と比べると、名前は同じだけど文字の形が違ったり、同じ文字だけど違う名前になっていたりするのですが、ラオス文字は、タイ文字を覚えていればすんなりと頭に入ってくるものだということが判りました。

面白いなと思ったのは、タイ文字で、yo を表す文字は、ラオス語では ngyo という発音になるのです。 ラオス語での yo という文字は、似た形のまた別な文字がちゃんとあって、それが yo を表すようになっている事でした。 ラオス語では、yo と ngyo は 別の音と認識され、文字も別になるのですが、タイ語では同じ音になって文字も区別しない、という事のようでした。 ラオス語は、 r 系の音が 退化して h になる単語が多いという事で有名なのですが、タイ語にもこうして退化した音があるんだな、と思いました。

午前中はこうして授業が終わり、また5時から続きの授業をやりました。 午後はサラ(ラオス文字の母音)を教えてもらいました。90分の快速特急モードでしたが、これもやはり、どこかで聞いた事が合ったりする感じで、何とか付いていけそうでした。 当分は予習復習が欠かせなさそうです。


このまま行くと、タイ語とタイ文字と ラオス語とラオス文字が混ざってしまい、どちらも話せなくなってしまいそうです。 きちんと、タイ語も勉強して、「サッサッ」と切り替えられるように訓練しなければならなさそうです。


余談、其の1 今日の教訓

サムロー(三輪バイクタクシー)の値段が異様に高いのはいつもおかしいなおかしいなと思っていたのです。 だって、ウドンタニーとノンカイ(国境)を往復したってガソリン代は200バーツはかからないのですが、あたりを少し移動しただけで、40,000キップ≠120バーツもしたりするのです。 街に入るときよりも、街から出るほうが2倍ぐらい高くてり、往復すると80,000キップ≠300バーツ以上します。 東京だってそんなにしないだろうという値段です。

今日帰り、60,000キップという若いお兄さんがいたのですが、不相応に高いので他を当たっていたら、30,000キップでいいというおじさんが現れたのです。 そうしたら、その若いお兄さんが非常に不服な顔...一瞬だけ『なんだよ!汚ねやり方しやがって!』という顔をしていたのを僕はみて、ハッとしました。 多分、外人相手にみんなで値段が落ちないように談合しているのです。

夜、近所の親切なおばさんに、普通いくらぐらい...?と聞いたらやはり案の定、一人3,000キップ=10バーツが相場だろうという話で、やはりなと思いました。

外国人にとって見れば、200バーツが300バーツでも、600円と900円の違いなので、どうでもよいだろうという違いだろうと思ってしまいがちなのですが...。 でも、値段の違いよりも、そういう嘘をつかれるのがすごく嫌で、色々考えてしまいました。

みんな生活している身なので仕方がない、とも思うのですが ... それだけでは終わらなくて、タラートサオで食事をしたときも、ウドンタニーで食事をしたら4回分ぐらい食べられるような値段をふっかけられたり、おつりはバーツだとかいって、1000キップ5バーツ(=正規は3.80バーツ)で計算されて頭に来たり、更にわざとおつりを間違えたりされて、タラートサオを出るころにはすっかりカンカンになってました。

とはいえ、外国人にとってどう太刀打ちすることも出来ない問題で、どうしたらいいものか...。


余談、其の2 排気ガス

よく思うのですが、車がボロいのはともかく、ガスケットとかピストンリングとか触媒装置とか(排気系?)が調子が悪くなっている車が多い様な気がするのです。 これは車がボロいのとは別問題で直そうと思えばすぐ直せる様な気がします。 ガスケットが悪くなってくると、シリンダから排気ガスが漏れてパワーが落ちてくるし、シリンダ内にクランクの油が上がりすぎてしまい、それが燃えてすごい煙が出たりします。 道にさほど沢山車が居るとは思わないのですが、とにかくすごい煙で閉口します。 それに、なんと言っても燃費が悪くなります。

勝手な事ばかり考えてしまうのですが、学校とかを作るよりも、もっと旋盤工を養成して、旋盤から旋盤を作る技術を覚えて、ピストンリングとかシリンダとかをジャンジャン国内生産できるようにしたら、経済問題も大気汚染も解決できて一挙両得じゃないか、なんて考えてしまいました。

余談、其の3 物価

ウドンタニーで80バーツのものが、ラオスだと240バーツとかします。 これは、一体何故なんだろうかと思います。 恐らくは、外人相手でふっかけているんだと思うのですが、それだけでもないような...。 水なんかはウドンで5バーツ、ラオスで15バーツぐらいですし... 。 値引き交渉しても頑として折れないので、いつもいつもどうしようかと思います。



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☆3 22:48 2007/02/09

今日は、早起きしてキャンパスに行って勉強しました。 本当は、昨日勉強した事をチャートにまとめて置こうと思ったのですが、そんなに簡単にまとまるものでもなさそうだったので、辞めてしまいました。 書いても書いても汚くなってしまうので、とにかくラオス語の単語の書き取りを沢山して、綺麗に書けるように練習するのが先だと思ったのです。

前回は、時間を都合で1時間遅らせてもらって恐縮していたのですが、今日は先生から1時間遅らせるという連絡があって、一時間遅れで始まりました。 ( 日本では絶対ないことだよな、とも思ったのです。 でも、これは、ある意味普段から他の人とコミュニケーションがスムーズに運んでいて、誰が何時ぐらい何をしているかぐらいは知っていて、多少遅れても問題にならない事を知ってるからこそ、出来るという事もあるのだろうな、と思いました。)

今日の授業は、発音と書き取りとコミュニケーション全部でした。 取り敢えず、コミュニケーションの教科書に書いてある事を片っ端から書き取って行き、間違えたところを教えてもらうという授業をやってもらいました。 同時に、書き取った文章を読んで、発音が間違っているところを直してもらったりもしました。

ラオス語の発音は8つに分類できるのだそうです。 それで、1から10までの数字の発音を教えてもらう段になって、ショックを受けました。 イサーン語と全然違うのです。 まだはっきり理解できていないのですが、ラオス語だと別々になっている発音が、イサーン語だと混ざっているということになっているみたいでした。

イサーンの人に、正しい発音を聞いても、漠然としていてなんだか釈然としない事が多くて嫌になってしまうのですが、これは、元々8つある発音のうちのいくつかが混ざり合っていて、発音が5~6種類に減っているからということみたいでした。 はっきり理解できた日には表を作りたいなと思いました。 また、これは前から知ってはいたのですが、パテートラオのラオ(第三声)が 違う発音に変るということと、他にも入れ替わっている発音があるらしいことがわかりました。 また、単語が違うのはもとより、時間の言い方が違ったり、物凄い多くの違いがあることがわかりました。

色々総合して考えてみると、多分、イサーン語は、元々ラオス語の方言の一つだったものが、タイ領土になった事で、タイ語も混ざって今の様な状況になったのではないかと思いました。

こうやって見て思うのですが、イサーン語を話せるようになるためには、まず、完璧にタイ語を話せるようになって、次に完璧にラオス語を話せるようになった上で、タイ語とラオス語のどちらの単語を使うかを、『常識センス』を駆使して選ぶ事が肝要ではないかと思いました。

ところで、この『常識センス』を駆使して、というのがイサーン語がすごく面白いところではないかと思います。 例えば、「20バーツ」の事をラオス語だと「サオバーツ」というのですが、タイ語では「イーシップバーツ」といいます。 ここで、イサーン語を話しているときに、イーシップというのかサオバーツというのかが問題となるのです。

少なくともウドンタニーでは、「サオバーツ」といってもちゃんと通じるのですが、「この人、か~なりラオ入ってるな~(^-^;」という印象になります。 というのも、イサーンでは、そういうラオスっぽい言い回しは、おじいちゃんとかおばあちゃんとかが昔話していたなぁ~という懐かしいという印象とも重なっているからです。

これはどういう感覚なのでしょうか。 例えば、日本で、阿加井という人にあっている場合において「阿加井さんだけに、『紅いスイートピー』なんちって、ナハナハ!」とか発言したとしますと、オヤジギャグを通り越して時代錯誤感が強くなってしまい、白い目で見られる危険を伴います。 また、視点を変えれば、女性のストッキングがでんせんした場合等において、ストッキングを指差すや否やな「♪電線に、すずめが三わ止まってサ」などと踊りを踊り始めることは、現在では法令によって禁止されています。 普通の常識ある日本人であれば、「常識センス」を駆使して、その様な甚大な失敗を避けようとしますが、多分そういう感じなのだと思います。

この、イサーン語というのは、基本はラオス語でそこにタイ語をどれくらい混ぜるのかが、「クイズ知ってるつもり?」みたいな常識感覚によって左右されるわけです。

ところで、今、ラオスの留学生アパートに居るのですが、タイというのは、東南アジアの中でも、格別給与が良くて、その割りに物価が安い、物凄く過ごしやすい国であるみたいです。 来たときから、この国は、物価が安い以上に、食べ物の値段が安いよな、と思ったことを思い出します。 給料は日本の10分の1ぐらいでも、物価は10分の1以上、食費は、下手すると20分の1以上じゃないか、と思うのです。

なんとなく、漠然となのですが、思ったのは、平等じゃない国の方が豊かな事が多いような気がするのです。 平等じゃない国というのは、なんというか、被差別グループが居る国ということです。 この人たちが、安い給与で沢山働かされている人がいるからこそ、豊かになるのではないかと思うのです。 タイでは、5倍の人口があるイサーン人が差別されて安い給料で沢山働いているわけです。 ヨーロッパの国々も平等主義を訴えている割に、未だに属国を持っている国が沢山あります。 日本はどうでしょうか。 日本は平等だから... という声が聞こえてきそうですが、今では沢山の安い給与の外国人労働者が居るからこそ、豊かなのかもしれません。 ひょっとしたら、それは、「地方格差」という言葉の裏に隠されているのかもしれません。 「少子化」という言葉の裏に隠されているかもしれません。「ニート」という言葉にも色々隠れていそうです。


明日は土曜日ですが、朝九時から授業をしてもらえるという事でした。

また、書き取りと発音直しではないかと思います。



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☆4 1:29 2007/02/12

~~~ 引用 ~~~

ラオス語とタイ語 (地球の歩き方ラオス P222 鈴木玲子記)

同系統で地理的にも続いている事からタイ語とよく似ている、或いはラオス語はタイ語の方言の様なもの、とも言われるが、中部タイ人がラオス人同士の会話を聞いて判るまでには相当の時間がかかるか、ほとんどわからないという。 但し、メコン川を挟む流域は、タイ側でもラオス語が話されているので、意思の疎通が可能である。

いくつかの単語を比較すると、ラオス語とタイ語は、さほど違いがないと感じるかもしれない。 確かに両言語が属するタイ・カダイ(Tai-Kadai)語族タイ(Tai)諸語南西タイ(Southwestern-Tai)語族のほかの言語と比較すると、声調だけが異なる語が多く、その違いだけを習得すれば大体わかる、というような錯覚に陥る。 けれどもそのような語でも意味にずれがある場合もあるので、注意が必要である。 例えば「ピーノーン」という語は、ラオス語では「親戚」、タイ語では「兄弟」という意味である。 また、同じ意味でも、ラオス人の中ではタイ語的な語と、元からラオス語の語の両方があり、微妙に使い分けていたりする。

また、南西タイ語群という枠で見ると、タイ語よりもむしろラオス語がその中で中心的存在である事がわかる。 タイ語がラオス語の方言であるとまでは言わないが、ラオス語が兄で、タイ語が弟であるかもしれない。

近年、マスメディアや物資の流入と共にタイ語がどんどんラオスに入ってきており、「ラオス語は消滅するのでは」などという声も聞かれる。 しかし、固有の文字を持つ言語はそう簡単にはなくならないと考える。 まして、ラオス人のラオス語を愛し、タイ語から守ろうとする強い心意気がある限り、ラオス語は変化はしても存在し続けるであろう。

~~~ 引用終わり ~~~

この文章を書いた鈴木玲子さんという方は、「CDエクスプレス」シリーズのラオス語版を書いている方です。

今日、Nirath先生(今教えてもらっているラオス語の先生)に教えてもらっている時、ふと、ラオスとイサーンが分かれたのはいつのことなのか、聞いてみました。 元々一つの国だった ラオス・イサーン・チェンマイは、まず、ビルマと戦争してチェンマイがラオスからはなれ、 1828年にラオスとタイが戦争して負けた時に、イサーンがラオスから離れたのだそうです。

ニコニコしながら「日本も同じだけど、戦争っていうのは負けるとつまんないね!」と笑って言っていた顔がなんとなく忘れられません。

我らがイサーン地方が、ラオスじゃなくてタイになった、つまり、イサーンがいわゆる、今みたいなイサーンになり始めたのはこの1828年ということです。 この年に全てが始まったという事なのだと思います。

そういえば、思い出したのですが、チャイヤプームに行ったとき、「ヤーモー」の銅像が建っていて、そこを通りすがる人はみな、さりげなくサッと手を合わせて敬意を表していたことを思い出したのです。 僕もきちんと調べていないので、間違ってたらいやなのですが、この人は、ラオスがバンコクに攻め入った時、ラオスが劣勢なのを見抜いて機敏な判断でバンコクに寝返り、民衆の命を救ったという話を聞いたことがあります。 女性なのだそうです。

しかし、イサーンで今でもヒーローとして扱われているこの人は、ラオスにとっては憎き裏切り者な訳であり、さらには この人がこういう判断をしたからこそ、ラオスは半分にぽっきりと折れてイサーンはタイになったわけです。

思い過ごしかもしれないのですが、なんとなく、ラオスで、イサーンの人と歩いていると、煙たがられているような歓迎されているような、なんともいえない雰囲気を感じる事があるのですが、そういう背景があるのかな、などと想像してしまいました。

恐らくは、1828年前後では、イサーンはパクセーと同じ様にラオスの一地方としてラオス語を話していたのだと思います。 それが、タイに統合された事でパクセー的なラオス語にタイ語が少しずつ少しずつ取り込まれて今の様なイサーン語になったとのことでした。

僕もみたことはないのですが、チェンマイの人が、また ラオス語の変化形の一つを話すということを聞いたことがあるのです。 この人たちは、タイにいるタイに詳しい人によると、パーサーヌア(北部語)というイサーン語と似た言語を話すとのことです。しかし、聞いてみると 「サバイディーチャオ」という風にラオス語と同じ挨拶するのだそうで、更にこのチェンマイ方言は、ラオスの人に聞くところによると、ラオス語のルアムパバーン方言と同じなのだそうです。 そういうところから、チェンマイもまた、文化的には一つのラオスなのだと僕は思います。

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ところで、僕は、そういう理由があるので、普段から、ラオス語の歴史を研究するのであれば、ラオスという地域に限らずに、ラオス・チェンマイ・イサーンを全て一つの地域として扱って研究するべきじゃないかと思っていたのです。

それで、実は、僕は、浅学にして、中卒であり、PhDなんていう物とは無縁であり、更に、ついこの間ラオス語を勉強し始めたばかりのド初心者であるなか、非常に恐縮なのですが、鈴木玲子さんのこの文章には、結構、違和感を覚えました。

まず、この文章にはイサーンという言葉が出てきません。 そして、イサーン語の存在が見事すっぽりと抜けているように読み取れます。 イサーンがかつてラオスだったことや、イサーン人は実はラオス人である事、だから、イサーン語の正体は実はラオス語である事、日常的にはタイ語を話しておらず、タイ語を話しているように見えるのは外人をあいてに見栄を張っているだけであることが、すっぽり抜けている様な気がするのです。

メコン川を挟む流域、というのは、ノンカイ・ルーイ・ウドンタニーあたりのことを言っているのでしょうか...。 それとも ノンカイの人がビエンチャン言葉を話すことを指して言っているのでしょうか。 これに対して、中部というのは、イサーンコラート弁の事を話しているのでしょうか。

中部コラートの人がかなりタイ語に近いラオス語を話すことはイサーンの人の間では凄く有名な話で、コラート語とか中間語(パーサークラーン)等と呼ばれています。 イサーンの人の間でもちょっと別格扱いになっている気がするのですが、一言でもイサーンの人に話を聞いていればこのような文章はでてこない様な気がするのです。



僕がこう思うのは、Nirath先生が書いた論文を見せてもらったからです。 Nirath先生の書いた ラオス語の地域差に関する論文では、当然のように、ラオスから国境を越えてイサーンまでを一つの地域として扱っています。 これこそが、本当にわかっている人が書いた本質を射抜いた論文じゃないかと思うのですが、鈴木玲子さんが書いた文章は、失礼かもしれないのですが、そういう視点が感じられないのです。 ( ところで、Nirath先生のこの論文はドイツ語なのです。 よい論文だとおもうのですが、英語でなければ読む人が限定されてしまうので残念だと思いました。)

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それに、鈴木玲子さんの書かれた、CDエクスプレスの発音記号は、タイ語の発音記号の順番に基づいた形になっているのがとても気になります。

ラオス語の発音の表記には、本によって物凄く沢山の流儀が出ているのだそうです。 これは、僕も見ていて思いました。 音程変化は主観的なものなので、人によって捉え方が違ってしまいやすく、更に、時代や地域によって発音が変化していたりするうえに加えて、全く同じ発音を表しているのに本によって記法が全く異なるため、他の人の研究成果を他の人がまったく継承できてないのです。 とても、混乱しているように見えます。

Nirath先生の論文はこの点素晴らしく、この千差万別生まれてしまった流儀を系統だてて整理した上で、FFTアナライザーを使って客観的に音声を分析し、Sengfa という人が考えた流儀を改良した独自の流儀を使って音声を説明していました。

僕はこの鈴木玲子記法とNirath記法の対応表を作ってみたのですが、この鈴木玲子記法は、ほとんど正しいのですが、微妙に足りないところがありそうな感じでした。

漠然と思ったのですが、このラオス語の表記の混乱は、音声の時代による変化以上に、この記法の統一性のなさが原因なのではないかという気がしました。


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それはそれとして、色々教えてもらいました。

・イサーン語とラオス語

イサーンの人が話すラオス語は、結構タイ語化していて、例えば、ラオス語で午後一時はヌンモーンラーン(あってるかな?)ですが、イサーンでは、午後1時はバイモーンとタイ語とおんなじ言い方をするのです。

ところが、ラオスの人は、普段タイ語のテレビを見ているので、一応タイ語の単語ぐらいは聞いて意味ぐらいは知っているのだそうです。 だから、ラオス語が話せる人は、適宜、単語をタイ語に置き換えてイサーン語に近い言葉を話すことが出来るのだそうです。 イサーンの人がラオスに来て言葉が困らないのは、こうして、お互いにお互いが知らない表現を使わないようにして話し合うからなのだそうです。

イサーンの人は、あんまりタイっぽい話し方をしないように気をつけて、ラオスの人も出来るだけ、タイ語っぽい話し方をするように気をつけていれば、きちんとコミュニケーションが成り立つのだそうです。 よって、イサーンの人は一発でイサーン人とばれてしまうそうです。

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・イサーンには、จ (チャ)を ก(カ) に入れ替えて話す人がいるのですが、 そういう話し方をする地方がラオスにもあるのだそうです。

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僕は、合理的に考えた上で思うのですが、何でも効率よくすれば良いというわけではないと思うのです。

僕の友達に数学博士が居るのですが、彼と話をして一緒に計算していたりすると、しょっちゅう計算や論理の展開を間違えるので、面食らう時があります。 しかし、この友達はもちろん合理的に考える技術を持っているので、自分の間違いを自分の力で訂正して最終的には正しい答えにたどり着く事ができます。

でも、僕は、このそそっかしいというのが、悪いことではないのではないか、という気がします。 僕は、創造的な思考をする人が、意外とそそっかしい性格で間違えやすい人が多いのではないかという様な気がしているのです。 このような人達は、勘違いして偶然出来上がってしまった考えの中から、より正しい答えのヒントに気付いて、より優れた答えを発明したりする様な気がします。 うっかり、間違えて曲がる場所を間違えたら、実は、それが、近道だった、というようなことは、日常的にも良くあるものではないでしょうか。

間違えない唯一の方法は、判っていることしかやらない事です。間違えるのは、新しい問題にチャレンジしているからです。 だから、間違えるというのは良い事だと思うのです。

何でもジャンジャンとこなしていくような、いわゆる「頭のいい」秀才型の人というのも居ます。 しかし、こういう人は、案外頭が固かったりするものではないでしょうか。

こういう人は、色々な問題の対処法を知り抜いて、あらかじめ効率よく考えられています。 手順の無駄がギリギリのラインまで削りとられているので、何でもすばやく処理する事ができます。しかしその反面、絶対に間違えないということは、自分で自分の考えを見直して改善する手立てがないということでもあり、状況に合わせて柔軟に指針を変えることは苦手=頭が固いということなのではないかと思います。

合理化するということは、ある目的を決断することによって最適な行動の答えが一つに決まるという事でもあり、究極的には多様性は失われます。 これは、すなわち、何か問題が起こったときに柔軟に対応する力を失ったという見方も出来るのではないでしょうか。

逆に、多様性を保つということは、すなわちそこを敢えて合理化しないで、無駄が残されているということではないかと思います。 だからこそ、新しい問題に柔軟に対応する事もできるはずです。

ラオスは、たくさんの貴重な不合理が残されている、すなわち多様性が失われていない国なのだ、というという見方があると思います。

日本のように、なにからなにまで、合理化されつくして、行き詰まっている国は、ラオスの様に多様性を保っている国から謙虚に学ぶべき事柄が沢山あるのではないかと、僕は思います。


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☆5 21:01 2007/02/12

このところずっと休み無しに集中してやってきたのだけど、さすがに今日は頭が疲れてきてしまいました。 起きてから調子が上がらずにぼんやりしてしまいました。

今日も文字読み直しと発音直しの授業をしてもらいました。 先生は、ラオス産の緑茶パックをご馳走してくれました。 そのパックにはもちろんラオス文字が色々と書いてあったので、それをつかってラオス語よみの読む練習をしました。

面白いなと思ったのですが、ラオスの工場は全部番号が付いているのだそうです。 ホンガーンレーク2とか、ホンガーンレーク3とか呼ばれているようで、ラオス文字との悪戦苦闘の結果、その緑茶パックのパッケージには「製品・工場番号4」とか書いてあるのがわかりました。 先生は「あ~これは、工場 ... レーク4だ。4。そうそう。」とか、言っていたのが新鮮に見えました。 何でこの人は工場の位置と番号など覚えているのだろうかと思いました。 国内の工場は10?ぐらいしかないので、大体全部判るともおっしゃっていました。 これは、ひょっとしたら工場が全て国の所有物である共産主義社会の素顔だったのかなとも思いました。 パッケージには、大きくラオPDRと印刷されていました。

他に、昨日コプチャイドーカフェにしけこんで作った、発音表一覧を見てもらって、いろいろと話を聞いたりしました。

昨日で文法と理論は大体全部教えてもらったのですが、それを練習してこなす時間が全然足りないのです。 もう頭がいっぱいでフアテム状態でした。 明日から授業時間を減らしてもらい、自習・練習にあてる事にしました。

ドイツに7年間留学してPhDを取ったという、Nirath先生は、すごく知的でとても面白い人でした。 Nirath先生と話すのは、知的にすごく刺激的です。 西洋人とも日本人とも違う独特の価値観で、なんというか、話に哲学感が一本通っているのが感じられます。 でも、それは、ひょっとしたら共産主義の流れなのかもしれません。 梶井基次郎が(ちょっと本の名前を忘れてしまったのですが)共産主義の本に傾倒していたという話しを思い出します。 僕が共産主義に傾倒して共産主義の革命運動を起こすことは、絶対ありえないと思うのですが、でも、Nirath先生のそういう自分の主義を崇高に持ち続ける姿勢は、すごくうらやましく見えました。

実は、僕が、前すごく不思議だった事 ... 北朝鮮が核実験を行ったあと、日本の閣僚がラオスに来て会談した事が、何故なのか先生に聞いてみました。 ラオスは中国とも北朝鮮とも日本とも友好関係を気付いているので、日本は、北朝鮮を指示しないことを要請しに来たのだそうです。 「アメリカは何度も実験を行って1000発以上の核弾頭を保持しているのに、北朝鮮が3発の核弾頭を実験しただけでここまで圧力をかけるのはやりすぎだよね!」とにこやかにおっしゃっていたのが、すごく印象的でした。

僕は、日本人なので全てが全て同意できないのですが、でも日本も含めて西側の視点に偏った情報ばかりを見ていると理解できるものも理解できないのではないかと僕は感じました。 前、ロシアに興味を持っていたとき(って考えてみれば、ロシアも共産主義ですが、別に共産主義が好きなわけではないです)も、ロシア人とのあいだで、色々な奇想天外な事件に巻き込まれて、理解に苦しんだ事を思い出します。しかし、そういう理解できない視点であっても、ある文化の視点であれば、必ず矛盾しない一つの論理があるのではないかと僕は思います。

そんな感じで、先生としばらく話していると、ちょっとずつラオス語っぽく話せるようになってくるのですが、正しい発音が頭に入っていないのでまだ全然ダメだと思います。 この状態でイサーンに戻ったら、また、あっさりとタイ語に戻ってしまうでしょう。



終わってから大学の中にある小さなカフェに行きました。 このカフェは本屋さんも兼ねていてラオス語の本が売られていたので買うことにしました。 しかし、気が付けば10000キップしか持って居なくて、25000キップもの本を買うことは出来ない事に気が付きました。

「タイバーツで支払いできますか?」って聞いたら出来るとのことでよかったのですが、「1000バーツ札しかないんですが、お釣りありますか?」って聞いたのが良くなかったのです。 「1000バーツでも『ボミーパンハー=問題ない』ですよね」って聞いたら、パンハーが『問題』じゃなくて『1005』という意味で取られてしまったようで、苦労しました。 パンハーのラオス語読みは... まだ正しい発音を知らないのです。 おつりは、1バーツ270キップで計算してキップでおつりを貰いました。

その後で、カフェにしけ込んで、ひたすら文字の書き取りをしました。今は、学期間の休みらしく、人が少なくて静かで、とても綺麗な風景の中で、ずっと書き取りをするのは楽しいものでした。



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☆6 18:16 2007/02/13

今日は、ものすごくいろいろなことがありすぎて、何から書いてよいのか判らないぐらいです。

今日は、JCA というところに行きました。 それは、先生と話しているうちに「技術があるのなら、JCAに行くといいかもしれないよ。」 ということを聞いたからです。 以前、先生の生徒にアメリカ人が居て、この人はラオス語を勉強した後、北部で技術系の仕事をしているのだそうです。

そういう仕事って出来るんですか?って聞いたら「出来る。ただし、誰がお金を払うかが問題だ。」とのことでした。 例えば、日本の政府からお金を貰ってラオスで仕事をするというのは、とてもポピュラーなアイデアなのだそうです。 そういう流れがあって、JCAという団体がビエンチャン内にあるという話が出て、行ってみるといいよという話を聞いたわけです。 取り敢えず、おととい買った携帯電話が充電できないという事が判明したので、タラートサオに行く必要がありました。 携帯のクレームがてらJCAによって見ることにしました。

まだ不慣れなのですが、相乗りサムローを使って、3パンキップ(=3000キップ)でタラートサオにでました。(タイと違ってガソリン代が随分と高いので、サムローを独りで借り切るのは贅沢だということがようやく理解できました) 相乗りサムローには、子沢山の子連れのお母さんが居て、そばには、日本にもよくいるような妙におしゃべりなおばさんがいて、「あらー何人目の子なの? △△には○○がいいわよー。」といいながら勝手に人の子供の世話を焼き始めていました。 タイ語と似た単語であれば、すぐ何を言っているか判るのですが、「ハオ(彼?)」とか「ムワコーン(おととい)」とか、タイ語と大分違う言葉が入ると、頭が付いていかなくなってしまいます。

なんとか無事にタラートサオに着いて、颯爽と携帯電話屋さんに行きました。 何とか僕のつたないラオス語が通じたようで、直してくれることになりました。 しばらく待った後、なんとアダプターだけでなく電話本体も新しいものと取り替えてくれ非常に助かりました。

ちなみに、このノキアN7は、新品で2800バーツ(10000円ぐらい)でした。 携帯電話に詳しくないのでよくわからないですが、恐らく大変な破格なのだと思います。 ちなみに、タイだと9000バーツぐらいするノキアの花柄のヤツ...(名前忘れた)は3000バーツ程度でした。 ひょっとしたら、中国の工場から直接横流しされてくるのかもしれません。 安いのでタイ人が自分の店で売るためにタラートサオまで、まとめ買いしにくるそうです。 もう少し頭を回してみると、このタラートサオの携帯屋さんは、恐らくベトナム経由で中国の工場にコネクションを持っているのかな...という感じがしました。

更に余談ですが、待っている間、ラジオを買いに来ているおばさんが居ました。 日本で5000円ぐらいの安物のラジオがラオスで3000バーツ(11000円程度)もするそうです。 しかしすごい値段の差です。

問題が解決して上気分で表に出て、飛ぶようにメチャメチャ売れている屋台のコーヒー屋さんでカフェパン(コーヒースムージー)を飲みました。 タイではそのあたりに普通にあるような屋台のコーヒー屋さんなのですが、ラオスには全くないばかりでなく、あたりに外国人が座れるような場所が一切ないので、正に飛ぶような売れ方をしているのです。 座る場所といっても、籐でできた本当に小さい腰掛と小さい机がビニールのゴザの上に並んでいるだけなのですが、外国人にとっては、本当に座る場所がないので、異様な人だかりになっていました。

その後、コプチャイドーカフェにしけ込もう...と思ったのですがやめて、JCAに行く事にしました。 JCAは、大使館のそばにあるということでした。 サムローの運ちゃんに行き先を告げ、ちゃんとぼられる事もなく到着したのです...。

大使館に着きました。そうしたら、入り口にすごい可愛いらしい女の子が日本の警備員の格好をしてたっていました。 一瞬コスプレかと思いました。(^-^; JCAってどこですか?って聞いたのですが、知らない様子でした。 余り見かけない外人であるうえ、しかもタイ語なまりのラオス語を話す謎の外人に話しかけられ、すごい緊張されてしまって、奥にいたリーダー警備員さんにバトンタッチされてしまいました。

リーダーはタイ語が話せる人で助かりました。 いわく「もうここにはないよ。 引っ越しちゃったから。 もう大分たつよ...2年位かな」だそうでした...。 この人はものすごい親切で、新しい場所を教えてくれた上、色々おしゃべりして色々教えてもらいました。 しかも、サムローと交渉してくれるということで、お願いしました。

話に夢中になっている間、3台のサムローが通り過ぎました。 それで警備員さんと顔を見合わせて笑ってしまったのです。 感じのいい人でした。 警備員さんは交渉してくれて15パンキップ(15000キップ)で行ってくれることになりました。 大分あちこち走り回り、「いや...実は行ったことなくて知らないんだよね」と打ち明けてくれ、あちこちのサムローの運転手に聞き込みをした結果、ようやくつきました。 運ちゃんが悪いとはいえ... ガソリン代が高いラオスにあって非常に気が引けたので、折角値切った5パンキップ(5000キップ)ですが、これを渡して、笑顔で別れました。


三階だよ、ということで入ったら、よく見慣れた三菱のエレベーターがあったので、サクッと乗り込んで三階に上がりました。 ... って、ちょっと待てよ! ラオスに着てからエレベーターなんて一度も見たことありません! ここはさすが日本流です。 日本製のピカピカなエレベーター(しかも監視カメラつき)がバリバリに働いていました。 すげー。

日本語が話せる方がいるということで、Hさんという方に通してもらいました。 話を聞いたら、今現地採用は行っていないんですよ...とあっさり断られちゃいました。

ちょっと待てよ。と僕は思いました。 タイ語&英語&ラオ語も少々話せてソフトウェア技術に長けていて無償でいいなんていう日本人はそうそうは出会わんぞ!それで本当にいいのか!と思ったのですが、規則は規則だそうです。 折角のこういう慈善団体なのに、こういう柔軟性にかけるところが、コテコテの日本でした。

実はそんなことを話していたところで、この方は流暢な日本語を話すにも関わらず実は日本人ではないという事を知りました。 この方のご両親は華僑であり中国人なのだそうです。 色々な変遷を経た後、まだソビエトが崩壊する前の難しい時代に日本に渡り、日本に帰化したのだそうです。

ところで、帰化する時に日本人の名前を新たに名乗る必要があることを、ご存知でしょうか。 ちなみに、その名前は自分の好き好きにきめられるのだそうです。 日本人である僕は、その制度を安直に、自分で自分の名前をきめるなんて面白い制度だな、と思っていたのです。 ところが、長年名乗った名前を変更するということは現実的には屈辱でもあり、今では、名前の変更は任意になったそうです。 このことを聞いたときに僕は少しショックでした。 でも考えてみれば当たり前な事です。

Hさんはラオス生まれで、日本に渡り帰化したあと、再びラオスに帰ったのだそうです。 また、ラオス滞在が10年以上たったので、ラオスに帰化しなおすことも可能なのだそうです。しかしラオスに帰化すると、日本に渡るのはほとんど絶望的になるそうで、見合わせているそうです。 僕は、タイ人が保証人なしでも経済的な責任能力さえ証明できればビザが下りるという事を知っているのですが、ラオスの方は保証人が必要なのだそうです。(恐らく、ロシアと同じ旧共産国という扱いなのではないかと思います。(記憶が確かなら)バルト三国を除く旧共産国の人はどんなに経済的に豊かであっても必ず保証人を要求されるそうです。) だから、ラオスに居てラオス語を話しているのに、半年に1回パスポートを更新する必要があるのだそうです。ご子息のビザも合わせると相当な数になるはずであり大変な負担を強いられているのではないかとおもいました。

僕は、ウドンタニーの中国人が非常に劣悪であることを感じていたのですが、最近、あちこちを歩き回っているうちに、地域によって随分ちがう事も判ってきました。 ××あたりにウロウロしている中国人は挨拶もしない。絶対仲良くなれない。 だけども、△△通りにいる中国人は、いつも顔を合わせるたびに笑顔で会釈して、可愛い猫を飼っていて、おいしいアイスクリームを売っている。 でも ○○通りの中国人は、「民衆は全て下郎。こうべなど死ぬまでたれぬ」と言った感じで取り付くシマもない、と言った具合です。

また加えて、ウドンタニーの中国人は、日本の中国人と大分感じが違うのも見て取れるのです。 日本に良くある、真っ赤な装飾の、麻婆豆腐がウマくてライスお変わり自由の馴染みの中華料理屋は、ウドンタニーにはないのです。 ところが、ラオスには、その真っ赤な中華料理屋があるのです。

これは、何でなんだろうな、といつも思っていたのです。 が、Hさんによると、これは、やっぱり年代によるんだそうです。 僕が知っているラオスの真っ赤な中華料理屋さんはつい1~2年の間にラオスにわたってきたのだそうです。ところが、Hさんは、おじいちゃんの代からラオスに住んでいるのだそうです。 この間のアイデンティティーの差は、到底無視できるレベルのものではなく、言葉は通じても全く話は合わないそうです。

日本人的には、なかなか具体的に想像しづらいものがあります。これはどういうことなのでしょうか。 日本で例えれば、(かなり極端な例えですが)18歳ぐらいのコギャルと50歳ぐらいのオヤジが会話しているのと近いような状況なのではないでしょうか。

この双方は、言語は同じ日本語を使うとはいえ、育った時代が大きく異なります。 片や戦争で多大な苦労した世代であり、生き抜く事が人生の最大の目的だった世代です。 片や甘やかされた全く苦労を知らない世代であり、芸能人の服装が何なのかを知るのが人生最大の目標である世代です。 これは、ある視点から見れば全く違う文化背景を持っているといえると思います。

こういう状況でも「陸続きの国」であれば、しばしば、日常的に文化背景の差を埋めるための話術に長けているので、比較的コミュニケーションが取れるのではないかと思います。こういう国の人は、自分がどういう価値観に沿ってそういう行動を取っているのかを説明でき、他の価値観にそって行動している人を許容できるのです。 ところが、典型的な『島国』に住んでいる日本人は、普段異なるアイデンティティーの人と話す機会が全くないため、そういうコミュニケーション技術を全く持ち合わせておらず、こういう異なる文化背景を持っている人と全くコミュニケーションが取れません。

恐らくは、このようなカルチャーギャップが、同じ中国人同士でも起こってしまうのではないかと思いました。 異国のカルチャーギャップというととても想像しがたいような気がしますが、実は似たような事は日本でも起こっているのではないかと、僕は思うのです。

更に、視点を変えます。 タイは中国人が多い国だと思われます。 タクシンだって中国人、タクシンが大嫌いなソンティだって中国人です。 ですが、恐らくこの方々は、非常に古くタイに移住したグループであり、比較的最近移住したHさんとは全く違った文化背景を持っているようです。 さらには、今では、中国人がタイに移住するのは、非常に難しいのだそうです。

ラオスに移住する方がずっと簡単なのだそうで、ラオスに移住する人が多いのだそうです。というわけで、ラオスの真っ赤な中華屋さんはそういう風に最近わたってきた人たちなのだそうです。

(いわれてみれば、ノンカイ周辺の中国人の雰囲気は、ウドンタニーの中国人の雰囲気と全く違うのです。 また、僕は、この人たちが、なんとなく横浜中華街の中国人の雰囲気とすごく似ているなと思いました。 また、僕は以前アメリカのボストンで語学留学していたのですが、このノンカイの中国人は、僕が以前留学していたボストンの中華街の人とも結構似ているところがある様な気がしました。 何か関係があるのでしょうか。)

中国というのは、すごく理解が難しい国ではないでしょうか。 僕の友達の中国人は、例外なく語学堪能で聡明で優秀な人ですが、正直、僕はタイに渡ってきて、中国人が大嫌いになりました。 しょっちゅうけんかになるからです。 確かにそういう中国人も居るわけですが、僕がアメリカでであった中国人は、極めて友好的で、すぐ仲良くなりました。

そうやって、いつもいつも、何故こんなに違うのだろうと思っていたのですが、これは、出身地、移住した時代、等などによって、全く違う文化背景を持っているからだったのだな、と、今日Hさんと話すことによって実感できた様な気がします。 同じ中国とはいえ、ヨーロッパ全体の人口よりも大きく、ほとんど異なる国と言っても差し支えないほど多様なのだと思います。

複雑な話です。 とても理解が難しい話です。 でも、極めて漠然とした中国人という存在全体の印象が、ごく一部の「中国人」の粗雑な行動が原因で悪くなっているのは、とても残念な事ではないかと、僕は思いました。

話が大分それてしまいました。他にも、Hさんとは、思わず沢山話をしてしまいました。 ドンドークの日本語センターを作った人たちにラオス語がわかる人がいなかったことや、ドンドークの日本語センターもJCAのプロジェクトの一つだった事などなど...。

僕は、まだ何も判っていないので、失礼な事を沢山書いてしまうかもしれませんが、そこを敢えて書いてみたいと思います。 なんというか、ラオス人の視点にたって日本人を見ると、その野蛮さが気になって仕方がないのです。 その強引さはまるでアメリカ並みです。

日本人って何で英語が大好きなのでしょうか。 同じアジア人でさえあれば、英語よりも、アジア言語であるタイ語・ラオス語のほうがよほどやさしいと思います。 意味が一致する言葉が多いからです。 こうやってコプチャイドーカフェでひたすら文章を書いているわけですが、こうしている今も、横で、静かにうつむきながら「キーエー、キーエー」と言ってお金を乞う人がやってくるのですが、この「キーエー」の意味は恐らくそのまま「帰依」なのではないでしょうか。

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僕は、どこの団体にも属さずブラブラしているだけの身であり、極めて身勝手な視点である事を、まず、先にあやまってしまおうと思います。 僕の話を読めば、きっと気分を害する方がいると思います。 すみません。 ごめんなさい。 でも、そこを敢えて書いてしまおうと思います。

全くの無知な僕は、何も知らなかったのですが、ラオスは、日本から多大な援助を受けているそうです。 ドンドークの素晴らしい日本語センター、タラートサオのそばの見事なアスファルト道路、JCAセンターの三菱のエレベーター ... etc.etc... 。

でも、なんとなく、漠然と、あまり問題の解決になっていない様な気がします。 援助というのは、経済的に自立し、自ら問題を解決出来るようになり、自分の意思で方向をきめて努力できる人物になる、そのこと自体を、助けるものではないかと思うのです。 そうでなければ、助ければ助けるほど、更に沢山助けなければならなくなるからです。 日本のラオスに対する援助は、まるで、子供にお小遣いをあげるような感じです。まず資金をあげるから、これを元手にしてちゃんと自分でアルバイトして自分で貯金して買いなさいよ。」というような、長期的な視点が掛けているように感じられて仕方がありません。

更に悪いことに、ラオスの人は、まず自力でどうにかしようと努力するのではなく、最初から援助を求めてしまうところがあるように感じてしまいました。 Nirath先生のような有能な方であっても、「まず外国の援助ありき」ということを話すのは、正直、僕も違和感を覚えるのです。

では、どうすればよいのか、というと...。

実は、僕は、むしろ、それでよい様な気がしています。

これは、問題を解決するのが目的ではなく、帰依に近い感覚なのではないか、と大胆な事を考えてしまいました。

Nirath先生と話していて、すごく面白かったのが「ラオスで働いてもカムライノーイ(給料は少ない)。 だけど、ラオスには『サムゴップ(=心の静けさ・落ち着き)』がある。これが一番大切なことなんだね。」 って言っていたのがものすごく強い印象が残りました。

ラオスでは先進国になることが一番大切なこと、ではないのだ、と僕はおもいました。 サムゴップが最も大切な事だったのか、と僕はすごく強い衝撃を感じました。

何でもかんでも合理化して近代化すればいい、というのは、間違っていると思うのです。

なんとなく漠然となのですが、ラオスでラオスの為に何かすると心が洗われた様な気がする、ということが自体が最も素晴らしく大切なことなのではないか、と言う気がするのです。 これは、なんとなく、日本人が忘れているが、実は今でも根底に脈々と流れている「帰依」とか「喜捨」といった素晴らしい考え方に通じている様な気がします。 ドンドーク大学の中を歩いていると当たり前のように大学の中にお坊さんが歩いています。 ここラオスには日本が忘れてしまった仏の心が残っているのではないかと思うのです。 経済的に合理化が行き着くところまで行き着いてしまい、心を忘れてしまっている日本に、大切な何かを思い出させているのではないか、という気が、僕はしました。

ラオスは確かに物が少ないのですが、物が少ないというのは、悪いことばかりではないと思います。

僕は、身の回りに強力なパワーのあるツールが増えて便利になると、生活が複雑化して逆に不幸になる様な気がします。 電子手帳なんか良い例だと思います。 忙しいので時間を効率的に使ってゆとりを持ちたい、と思って電子手帳を買うと、時間の利用効率が良くなるので、実際にはもっと忙しくなります。

更に電子手帳を使いこなそうと悪戦苦闘したおかげで折角の休日がつぶれたりもします。 散々時間をかけて悪戦苦闘した結果、自分が必要な処理をする能力がその電子手帳にないことを知ったりもします。 そうなるともう一度、高いお金を払って他の電子手帳を買い、また同じ時間をかけて使いこなせるようにする必要があります。

強いパワーのあるツールは、心してかからないと、逆に自分が乗っ取られてしまうのです。

道路もそうです。不便な街に高速道路が出来て便利になると、実は、貧しくなるのです。 道路が出来る事で地方の脆弱な経済が勝ち目のない競争に晒されてしまい、豊かになるどころか格差が生まれて貧しくなってしまうからです。 このことをマッチポンプ効果というそうです。

ウドンタニは、バンコクからバスで12時間。 一応飛行機は飛んでいますがとても庶民の手の届くような値段ではありません。 電話や電気すら通ってない地域が沢山あります。 しかしウドンタニーの様な地の果てでも、人が沢山いて住んでいて、みな質素に商売をして暮らしています。 そんな素朴な風景というのは、日本にはないような気がします。

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なんとなく思ったのですが、失敗することの何がまずいのでしょうか。

小学、中学、高校、大学、有名企業に就職、というパターンが黄金パターンとされており、失敗しないようなセイフティーネットがそこかしこにしかれています。 しかし、ひとたび挫折すれば、二度と普通の世界で生きていく事はできません。 僕は、今でも中卒ですが、日本に住んで、そういう状況を嫌になるぐらい体験してきました。

今、世のニュースでは、ちょっとした挫折でも行き場を失って自殺してしまったニュースや、ちょっとした挫折で深い喪失感に陥って行き場を失って犯罪を起こす人でにぎわっています。 日本では、失敗は、人生の死を意味しているのではないでしょうか。

ラオスやタイをぶらぶらしていると、ホテルの受付などでよく色々とトラブっている日本人を見かけます。 苦労しているみたいで思わず声をかけたくなるのですが、僕は、絶対声をかけない事にしています。 なぜかというと、こういう人に声をかけると、感謝されるどころか「タイ語はなせるから大丈夫です」とか「心配しないで下さい」とか冷たい反応を受けることがほとんどだからです。

僕は、別に冷たい反応を受けることを怒っているわけではないのです。これは「折角、自力で失敗しようとしているのに邪魔しないでくれ」ということなのだと思うのです。 彼らは、「失敗から最も多くのことを学ぶ」という事を本能的に察知しており、失敗が全く許されない日本から逃げ出してきているのです。 こういう人を邪魔するのは実に無粋な事なのではないでしょうか。

日本で会社を倒産させたらほぼ犯罪者と同じ扱いなのだそうですが、アメリカでは、会社を倒産させた数が、経歴として認められるという話を聞いてすごく驚いたことがあります。これも正に「失敗から最も多くのことを学ぶ」ということを常識として持っているからこそ、そうなのだと思うのです。

「失敗から最も多くのことを学ぶ」ということは、文化や好みによる偏りではなく、事実・現実だと思います。 だからこそ、もっと積極的に沢山失敗して学ぶ必要があると思うのです。

今の日本では、そういう失敗が許されません。 子供は、雑菌が沢山入った「離乳食」を食べずに育つので、脆弱になります。 環境的に能力がスポイルされている上、今の若者は、経験も持たされず、世代人口も少なく、発言力もなく、よって自由もなく、重い年金支払い義務を背負わされ、他の世代から阻害されています。 そういう世の中では、積極的に世の中に出ずに、家に居てゲームをするのが最も合理的な行動ではないでしょうか。


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☆7 11:31 2007/02/16

とにかく、昨日帰って来ました。

なじみのウドンタニーのホテルに帰り、おととしウドンタニーにきたばかりのときは水の出が悪いなぁと文句を言っていたホテルのホットシャワーの、水の出が良さとお湯の熱さに感動して、ずっと飲めなかった大好きなエスプレッソで淹れたカフェラテを飲んで、安くて豊富なスプリングウォーターを沢山飲んで寝ました。

しかし、無ければ無いで何とかなるものだなとも思いました。

初めてタイに来たときは、コーヒー・豆乳・牛乳・すべからくコッテリ砂糖が入っていることに、随分と苦情を持ったものなのです。 でも、しばらく居ると不思議とそういう砂糖入りの食料がおいしく感じる様な気がします。 特に長い間日本米を食べないとそうなる様な気がします。

砂糖入り牛乳を飲んで、 近所で売っていた 『揚げ・大豆あんこ入り・カウニャオケーキ・ボール』(名前知らないんです)を食べていると、僕的には割りと大丈夫でした。

タイと違ってほとんどレストラン・屋台が無く、あってもすごく高かったので食べ物は大変でした。 聞きづてなのですが、学生でも自炊すると聞きました。 ちなみに、寮にいたベトナム人の留学生は電気ナベを使って自炊していたのだそうです。


日記1 「サソリ」

おととい、ドンドークにサウナがある事を知ったので、イサーン人の連れの兄と行ったのです。 屋外に味のある木造のトタン屋根が葺いてある小屋があり、その下にコンクリート製のサウナ室と水かぶり場があって、地元の人が何人か来ていました。 有名な、伝統衣装の布を巻いてはいるようになっているサウナです。混浴ですが、裸ではないので特に構いません。 でも、サウナ室に女性が入っているときは男性は入らないようになっていて、女性が入っているときは男性は入らないという暗黙の了解があるようでした。 僕が勇気を出して入った初回チャレンジは、女性がいて大失敗でした。 入る前に、誰かに聞く必要があるので、外人としては大変でした。

( ふと考えてみると、イサーンの人っていうのは、ラオスの人と比べると圧倒的に能天気で、言葉が通じようと通じまいとどうでもおっけー!という感じで、外人的にはとてもなじみやすいのですが、ラオスの人は雰囲気的にイサーンの人と全然違って物静かな雰囲気なので、外人的にはよりきちんと丁寧に話す必要があるので、より難しいのなと思いました。)

入ってみると、部屋の中は、電気がなくて暗くなっていました。 ハーブを煮込んで出た湯気が充満していて良い香りでした。 外から差し込む光が光線となって中を照らしていました。 小窓に恐らく何かの流用であるような少し曇り気味の透明な樹脂性の板がはめ込んでありました。 覗き込むと、そとは、古びた木造の建物が並んでいました。 とても綺麗でした。

熱くなって出てきたのですが、とてもビックリしました。 何故かかというと、ふと腹の上を見たらでかいサソリが歩いていたからです。 これは、近年まれに見る最大のビックリでした。 気付いたお兄さんが、何事も無かったように指でピンとはねてくれました。


日記2・「14日の出来事」

この日は、いつものように朝起きて9時からレッスンの約束でした。 この日特別だったのは、途中でイサーン人の連れが来てヤーモーの話になったからです。 僕が知っているヤーモーの話は「ラオス族の襲撃を気転を利かすことことで撃退したタイのジャンヌダルクだ」というような話なのですが、ラオスの視点にたてば全く違った世界が繰り広げられるのだということを知りました。

(この話は、日本の南京大虐殺の話のようにまだ終わっていない歴史で、賛否両論有る物です。 こうして書くことの全ては、ある一つの視点であって、正しい意見だと絶対に言うことは確認できません。 また詳しい資料に当たって書いているわけではないので、間違っているところも少なくないと思います。ですが、そう思っている人がいるという意味では大筋間違いないだろうと思います。 そういう意味ではある一つの視点なのだと思います。 この意見は、タイでは危険思想とされており、絶対に口外できません。 mixiのコミュニティーという閉じられた世界ではありますが、こういう公共の場でこのような意見を公開してしまうことは大きな問題がある可能性が高いのです。 何か問題があったらすぐに削除したいと思います。 また、これから以下に書く意見は僕の意見と何の関連もない事をここで宣言します。 僕はこのことについて一切何の意見も持ちません。 ただそういう少数な見解があるということを述べるにとどめたいと思います。 )

当時、イサーンはラオス(ビエンチャン王国?)領だったということです。 当時のラオスはタイ(サイアム)に高い年貢も納めており、当時から非常に不公平な国交を結んでいたのだということです。 そういう中、勢いに乗って制逆転を狙ったラオス軍がタイに侵攻したところ、イサーンのヤーモーの思わぬ造反にあって敗戦したとの事です。 それが1828年の事なのだそうです。 ヤーモーは、ラオ軍の国境警備隊に酒を飲ませ女を抱かせて腰砕けにしたところをサイアム軍を呼び出し、国境警備隊が動けなくなったところで一気に襲い殲滅させられたとの事です。 ヤーモーはラオスにとって売国奴なのです。 ちなみに、ヤーモーが、タイ人なのかラオス人なのかというのは、諸説紛々あるそうです。

その後、イサーンはタイとなり、ラオスの歴史書は全て燃やされ、イサーンではヤーモーを英雄とするタイ式の教育が施されたとの事です。 それ以降、ラオス語圏内の一地方であったイサーンは、少しずつ少しずつタイ語化し始めたそうです。

ちなみに、以下、僕の見解なのですが、例えば「クア」というのは、ラオス語で「橋」を意味するのですが、イサーン語ではタイ語と同じ様に「サパーン」というそうです。 しかし、40年ぐらい前は、イサーン地方でも「クア」と呼んでいたのだそうです。 そういうところから、イサーン語がタイ語し始めたのは、僕的には意外と最近なのではないかという気がします。 つまり、イサーン語がタイ語化しはじめたのは1828年ではない様な気がします。

そんなイサーン人にとってヤーモーは英雄とされています。しかし、そのイサーン人は、バンコクに行くとバカにされっぱなしです。 安い給料でドレイのように働いている人が沢山います。 元々言語的にはラオス人なので、タイ語が下手くそで、krとか tr とか pl とかの二重子音の発音が出来ません。 話しかたもゆっくりです。 独特な正義観というか掟というか...そういうものを持っていて、これが、他の民族の人から「わけわからん」というか、非論理的だと思われがちな様な気がします。

そのくせイサーン人はバンコク人の5倍も人口が居るわけですが、現在、こういう国で正式に公平な選挙をしたらどうなるかは、想像に難くないと思われます。



実は、この日の夜、連れの兄を先生に合わせたのです。 最初は珍しいラオスのお酒を振舞って頂いて和やかな雰囲気だったのですが、酔って口がすべらかになるにつれ、歴史の話しも色々と出てきたのです。 イサーンのルーツでもあるラオスの意見に同意して仲良くなるかと思いきや、イサーン組みが一触即発のような状態になってしまいました。 もっとも、イサーンの人もラオスの人も、感情を表に出す事は絶対ないので表面的な問題にはならないのですが ... よく仲のいいよく知っている人であれば、その人が怒っているか楽しんでいるかはすぐ見抜けます。 すぐに、これが出来る限り避けるべき、最も誤った行動だった事を思い知りました。

タイでは、ヤーモーは国を救った英雄とされており、ラオスは昔からタイ領であったため、ラオスの侵攻は謀反である、というようなことが言われているようです。 また、この思想はタイでは国王に忠誠を示さない悪人が持つ超危険思想であり、まったく相容れることは出来ませんでした。

ラオスとイサーンが同じだと考えるのは、全く浅はかでした。 このアイデンティティーの違いこそがイサーンとラオスの違いを決定的にしているのではないかと思いました。

僕は、日本人であり、全くの部外者であるため、どちらの話も公平に聞けるのですが、当事者にとっては、双方全く譲る事のできない極めてきわどい意見なのだと、鋭い痛みと共に思い知りました。

日本のように圧倒的に豊かな国から来てしまうと、ノンカイ・ラオスを行き来しても、なかなか気付きづらいものがあるのですが、しかし、よく見てみれば、道の美しさ、車の新しさ、経済的な豊かさは桁違いです。 大変な違いがあります。 ノンカイに走っている車の量はビエンチャンの比ではありません。

外国人の目から見ると、イサーン人というのは、国籍はタイ人でありながら、自らラオスを捨てタイになった、或いは、「何らかの異なる事情」でラオスから離れた、ラオス語を話す民族であり、タイからは見下され、自らはラオスを見下しているくせに、ラオス語を捨てる事もできず、表面的には流暢にタイ語を話してタイ人を装いつつも、普段は、人目を忍んでこっそり ソムタム(勿論パラ入り)・カウニャオ・サイクロークを食べ、モーラムを聞くとうっかり踊りだしてしまうという、不思議な民族ではないでしょうか。 歴史を論理的に考えれば全くの矛盾に満ちた文化ですが、元々、ラオ・イサーンというのは論理を至上としない、気持ちを至上とする文化であり、僕は矛盾はしていないと思います。

イサーン人はイサーン人であり、ラオス人でもタイ人でもないのだと、僕は思いました。

こうやって書くと、なにか難しい様な気がします。しかし、戦争に負け、本音を語ることを許されず、英語にあこがれてどこの国に行っても英語を話したがる日本人も、似たところがあるとはいえないでしょうか。

このコミュニティーには、イサーン・ラオスの方も多くいらっしゃっております。 以上の文章に付きまして、失礼な言葉がありましたら、申し訳有りません。 また、僕の文章は常に失礼なところがあり、その他にも失礼な物言いがありましたら、申し訳有りません。

また、この文章は、極めて危険な文章でもあり、どうしようか未だに迷っています。何か問題が発生したらすぐ削除したいと思います。



しかし、今回の旅行は、色々な意味でイサーンとラオスに挟まれ、生活の変化以上に精神的に非常にきつい旅行でした。 もう少し、キチンといろいろなことを勉強しなおして、ラオス語の宿題を終えて、もう一度再チャレンジしたいと思います。
コメント一覧
[1]   おかあつ   2007年02月10日 00:45
時間切れになってしまって、細かな直しができなかったのですが、第一段とにかく書き込みました。
[2]   かつお   2007年02月10日 07:24
おかあつ様

日記を興味深く拝見しました。

ラオスでは日本は最大のドナー国なので、日本人への
待遇は良いわけです。
今年になって、日本人は30日間ならビザ不要になりました。

また、日本人はファランよりはラオ人に近いので、親しみやすいではないでしょうか。
ラオ人自体、おとなしい性格なので、慣れるまでは
なんかよそよそしい感じがします。
酒を飲みに行って慣れてしまえば、そうでもないですけど。

ドンドークで勉強されているのでしょうか。
私はタートルアン近くの『21世紀学校(ホーンヒエンサッタワッティーサオエット)』
で現地訓練を受けましたが、そこの先生はドンドークの
方でした。
アーチャン・センファーといって、日本でもラオ語を教えていた
方です。

ラオ語はタイ語ができたら、難しくないと思います。
ラオ語のいいところは、表記文字と発音が同じところです。
タイ語のプラーとか、変則的な発音がないので、そのまま
読めます。
反対にイサーンはかなりタイ語が入っているなと思います。

ラオスの物価は決して安くはないと思います。
国内産業が軟弱なため、輸入に頼っているからです。
ラオスで商売している人は、ウドンまで買い物に行って
ますから、日用品はタイのほうが安いでしょう。

サムローはラオ語だとジャンボとかトウクトウクといいます。
後者はより大型のものですが、意外と発音が難しいです。
ソンテウはドイサーンです。

ドンドークは街から離れているので、一人乗りの場合は
かなり高い(30,000~40,000kip)だと思います。
乗り合いでいけば安くなると思います。
また、ドンドークか近くの南部方面バスターミナルからは
タラートサオ行きのバスがでています。
それに乗れば、5,000kipほどで街まで行けます。

ラオスは右側通行なので、タイや日本の常識で道を
渡っていたら事故にあるかもしれません。
また、逆走も多々あるので、用心して渡ったほうがいい
でしょう。
日本人でも事故で死にかけた人を何人か知っています。

タイから入れば、ビエンチャンはイサーンの地方都市といった印象
を受けますが、街の看板などをみたら社会主義の国だなあ
と実感します。

ラオスのよさは麺類がうまいことです。
生野菜たっぷりのフーやミーナムなど。
また、ビアラーオも格別のうまさです。
工場に行けば、できたてのビールが飲めます。

24日にビエンチャンにあがるので、お会いしましょう。
[3]   おかあつ   2007年02月12日 23:20
二日分アップしました。 今回は、最新の文が上になるように更新しました。 よろしくおねがいいたします。 今日も AjaxIME なのですが、あまり速く入力できないので、乱暴な文章になってしまって、すみません。

本文はノートで書いてUSBメモリでMIXIにお届けしております。

>かつおさま
様々な情報ありがとうございます。

そうです。 ドンドークです。

じつは、滞在期限が20日までなのです。 タイでいろいろとやることがあるので延長は難しそうなのですが、できればけではなビエンチャンだけでなくほかの地域にも行ってみたいとおもっています。25前で予定が会えばぜひおあいしたいです。
[4]   かつお   2007年02月13日 04:14
おかあつ様

ボーミーバンハーです。
ラオ語とタイ語は微妙に違いますね。

タイバーツは強いですね。
米ドルや円は下がっているのに。

ラオスに長くいると気づくのですが、ラオスは矛盾した
国なのです。

共産国なのに、宗教を認めている。
多民族国家すぎて、ラオ語が浸透していない。


ラオスとタイは30年前には国境紛争していたので、
タイを一部敵視しており、タイ人のことが嫌いなのですが、
人々はタイのテレビを見たり、歌を聴き、タイ製品を
購入しています。

イサーン人はラーオ民族ですが、国籍はタイなので、煙たがれる
こともあるのではないでしょうか。
タイ人と結婚している知人の奥さんはほとんどタイへ
逃げ返っています。
首都でさへ、ウドンタニの発展ぶりにはかなわないので、
不便な国なのでしょうか。

ランサーン三王国時代に、ビエンチャンに対抗して劣勢だった
ルアンパバーンの王様がシャム王朝に力のあるイギリスと結託して
イサーン地方をシャムに割譲したと聞いたことがあります。
したがって、現在でもイサーンを失ったことを悔いていますし、
ルアンパバーンの王様を憎んでいる感があります。
その恨みか、革命時に王様は捕らえられ、獄死しました。

私からすれば、今のラオスは弱小すぎるので、当時の
繁栄ぶりをいまだにひきずっている感があります。

そうです、ラオスは北朝鮮とも国交のある国なのです。
ビエンチャンには北朝鮮大使館があるし、北朝鮮レストランも
あります。

ドイツでPh.Dを取得したラオ人は珍しいですね。
西側ですか?
[6]   おかあつ   2007年02月16日 02:34
ウドンタニーで問題が続発してしまったので、とにかくウドンタニーに帰ってきました。

>かつお様

色々なフォローをどうもありがとうございます。 僕は、興味を持ち始めたばかりで、知らない事ばかりなので、とても勉強になります。

# (僕がイサーンに興味を持ち始めたのは、ちょうどこのコミュを作ったころなのです。)
#(^-^)



これから日記に書こうと思うのですが、今回の旅行は、本当に衝撃的でした。 最終日に発生した出来事は、特に決定的で、帰ってきたのはそのショックも少しあります。(一旦出直さないとどうにもならないなと思ったのです。)

ラオイサーンの歴史は、そんなに簡単に割り切れる物じゃありませんでした。 キーワードは、やはり、ヤーモーという人の存在だと思います。 しかも、これは、日本と韓国・日本と中国のように、今でも生きている人の歴史でもあって、極めて感情的に微妙な部分に踏み込むことだという事を思い知りました。人の歴史に土足で踏み込むような事態は絶対に避けなければなりません。

ドンドークの図書館にある歴史書は、英語にも日本語にも訳されていない、外国人が全く知らない歴史の記述が沢山保存されているそうです。 そういう貴重な情報に末端に触れる幸運も得ました。


どうしても個人的な情報も含まれてしまうので、どこまで書けるかわからないのですが、今から少しずつまとめてみようと思います。
[7]   竹風鈴   2007年02月16日 02:59
う~ん、分厚い日記ですね。長さ、という意味だけでなく。

ちょっとコメントはできませんが、かつおさんのレスも含め、大変興味深く読ませていただきました。
[8]   おかあつ   2007年02月16日 03:16
おかあつです。

・取り敢えず おとついの日記をアップしました。
・一貫性がないので、先頭を過去に下部を直近に入れ替えました。
・ものすごく長いので、各日記の先頭に☆を入れました。 CTRL+Fで出現する検索で ☆をキーワードに検索してみてください。 日付ごとに移動できます。


>ドイツでPh.Dを取得したラオ人は珍しいですね。
そうなんです。 大変な苦労をされたそうです。

>西側ですか?
このことは、僕もものすごく興味があったので絶対聞きたかったのですが...
[10]   おかあつ   2007年02月16日 03:51
>竹風鈴様
あっ... すれ違ってしまいました。 (^-^;
[11]   かつお   2007年02月16日 09:37
おかあつ様

それって、私が所属する団体ですかね。
でも1文字たりないなあ。

日本で試験を受けて、採用されます。
貴方のように、技術があり、語学ができれば採用される
かもしれません。
国は希望通りにはいかないことがあるので、
アフリカや中東という場合もあります。

ラオスは旅行でくるにはいいけど、住むには厳しいと
思います。
タイとは制度が違うので。
[12]   おかあつ   2007年02月16日 12:00
済みません、最初、JCAと聞いていたのですが、昨日パンフレットをよく読んでいるとき、一文字足りないことに気が付きました。

>それって、私が所属する団体ですかね。

ひょっとしたらそうではないかと思っていたのですが... やはりそうでしたか...

言葉が直接的でしかも批判的で済みません。

>貴方のように、技術があり、語学ができれば採用されるかもしれません。

僕は中卒なので、どんなに技術があってもどんなに経歴が素晴らしくてもどんなに語学が出来ても、ほとんどの場合門前払いで終了してしまうんです...。

別に怠けていたわけではないんですが... 10回に9回は、「学校も行かないで20年間もなにやってたの?」 といわれて、追い返されてしまいます。

それは僕の非常に神経が敏感なところなので、そういう乱暴な物言いは非常に痛いのです。 そういうトラブルは事欠かないのでトラウマになっており、大きな団体の振る舞いにはかなり過敏に反応しがちで良くないのです。


言葉にとげがあるかもしれないのですが、絶対に悪意はありません。
申し訳有りませんでした。
[13]   とと   2007年02月16日 12:03
トピ名につられて拝見してますが、本文がどんどん書き足されているんですね。
周りにいたイサーンの人は、イサーンという言葉の代わりに
ラオということが多かったので、それほど違いがあるとは
思っていませんでした。勉強になります!

タマホーはタマフンですか?食べられていいですねー。
私には、まさに”恋し”です。
いつも亭主をののしりながら作ってたソムタム屋、
食後のデザートのブンカティもおいしかったなあ…
[14]   おかあつ   2007年02月16日 12:12
とと様、

>周りにいたイサーンの人は、イサーンという言葉の代わりにラオということが多かったので、それほど違いがあるとは思っていませんでした。

そうなんです。 僕も「ラオ語」っていうぐらいだから、ほとんど同じだろう、と思っていたのです。 実際、みんなそう思っているのじゃないかと思うのです。

でも、実際に比べてみると「ちょっと」違いました。 その「ちょっと」の違いがものすごい目立つのだと思いました。

昨日も、フレンドシップブリッジに行くとき、「パイサパーン、チャッキップ?」(=イサーン式)というのと「パイクア、チャッキップ?」(ラオ式)というのと すごい値段がかわるらしい事を知って、面白いなと思いました。
[15]   おかあつ   2007年02月16日 12:16
>タマホーはタマフンですか?食べられていいですねー。
>私には、まさに”恋し”です。

幸せそうでいいですね~(^-^)

# タマホー tamahoong に修正しました。 済みません。
# タマホーの最後は ง ... と。
[16]   こうた@キンビアノッ   2007年02月16日 12:58
書き込みは、はじめてかな?少し自信がありません。
はじめてということで、よろしくおねがいします。

メコン川をはさんで、ウドンで長く過ごされていても、ビエンチャンには「不思議に感じること」があるのですね。

この日記もそうですが、バイタリティに感動します。

ところで、日記の中の以下の部分なのですが。

>日本語が話せる方がいるということで、Hさんという方に通してもらいました。 話を聞いたら、今現地採用は行っていないんですよ...とあっさり断られちゃいました。
ちょっと待てよ。と僕は思いました。 タイ語&英語&ラオ語も少々話せてソフトウェア技術に長けていて無償でいいなんていう日本人はそうそうは出会わんぞ!それで本当にいいのか!と思ったのですが、規則は規則だそうです。 折角のこういう慈善団体なのに、こういう柔軟性にかけるところが、コテコテの日本でした。

「無償」と言う言葉に引かれて、書き込んでいるわけですが、「ボランティア希望」と解釈しても、いいのでしょうか。

うちの団体などは、どうですか。現地事務所のない小さな団体ですけど。ちょっと、のぞいてみてください。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=823003
[18]   おかあつ   2007年02月16日 20:59
最後の日記を上げました。 最後の日記は、書き終えた今もかなり迷っています。 明らかに矛盾が含まれて居ますし、調べも曖昧で、また内容的にも誰もが納得できる文章では到底ありえません。 都合により削除してしまうかもしれません。

・ 強烈に長いので、各日付ごとに☆印をつけ、更に先頭から順に ☆1 / ☆2 と 半角の数字もつけました。
・ ☆印は ☆1~☆7まであります。


------------


>こうた@キンビアノッ様
>書き込みは、はじめてかな?少し自信がありません。

はじめまして... ! 書き込みありがとうございます。 話すのは初めてでも、もう一個のプログラムネタの方のコミュにも参加していただいていて、存じ上げております。
(^-^)

>「無償」と言う言葉に引かれて...
はっ... ( ̄ロ ̄; しまつた! (^-^)

コミュやホームページを拝見させていただきました。
団体を運営されていたんですね...!
まずはよく読まさせて頂けませんでしょうか。

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しかし ... この日記なのですが、バカなタイトルと対照的に、極めて微妙できわどい表現が多く、徐々に気が引けて来ました。 普段誰とでも面と向かってこんな事ばかり言っているわけぢゃないのです ...

(-_-; 感じが悪くて本当に済みません。



一応タイトルの解説をしてお茶を濁してみる ...
(^-^;;

ラオ語: khoi si kin tammahoong
英語 : I will eat ソムタム

khoi は ラオス語の一人称の普通形です。

但し、イサーンでは、ラオス語は友達間の言葉として考えられているそうで、koi を 親しくないに使うことは、好ましくない事とされているそうです。 イサーンでは自分の名前を直接使うのが丁寧なのだと聞きました。 しかしこれは女性の話で男性の場合は... タイ語と同様にphomを使うとか...。

si は ラオス語で未来を表現する時に使う言葉で タイ語の ca と同じだそうです。 今回知って驚いたのですが、ラオス語でも書き言葉は ca を使うのだそうです。 イサーン語は話し言葉のみなので、si のみ使われるようです。

kin は タイ語・ラオス語 共に 「食べる」です。

tammahoong は 日本語で書くと、タマホーン タマフンの中間の音のような感じになります。 「大嫌い!フーン!」というときの「フーン」 のように フンの音程を上げていいます。


というわけで 恋し金玉砲と覚えておくと、忘れないし、基本単語が結構含まれて便利だと、勝手に考えている次第です。
(^-^;


馬鹿なことばかり考えているんですが、平子音を全部覚える時、「乞うちょっとドボ放尿おお」って覚えると、全部覚えられるなと考えたり...。
(そんな事子一時間考えてた..(^-^;)

>(そういうシモネタにすると忘れないのか)>>自分

余談なんですが、ラオス文字で、象の「ソーサーン」と 日本語のひらがなの「そ」が似ている様な気がするのは、他人の空似なんでしょうか...。
[19]   こうた@キンビアノッ   2007年02月16日 22:45
>余談なんですが、ラオス文字で、象の「ソーサーン」と 日本語のひらがなの「そ」が似ている様な気がするのは、他人の空似なんでしょうか...。

「そ」は、漢字から作られたものなので、違うでしょうね。

私は、ラオ文字やタイ文字・クメール(カンボジア)文字・パマー(ミャンマー)文字、それぞれに似ていると思います。
そして、それはネパール文字やインドの文字にも似ていて、昔のお経の文字(パーリー文字?)から来ていると思います。
[20]   竹風鈴   2007年02月16日 23:00
タイ文字覚える時の「チョー・チャーン =象さんのゾ」みたいにラオ語だと「サーン」が象なんですか?

ソーサーンって音自体が「象さん」みたいですね。
一発で覚えられました。

くだらないこと言ってゴメンナサイ(^^ゞ。
[21]   かつお   2007年02月16日 23:05
おかあつ様

なにか勘違いされているようなので補足説明します。

私は2年契約のボランティアなので、正職員ではありません。
今の仕事はラオ人の同僚と、毎日ラオ語を話し、同じ目線
なので面白いと思います。

先輩にも中卒でコンピュータを教えていた人がいました。
ラオ語もたいして上手ではなかったのですが、いい活動
をしていました。
個人的には、高学歴で頭の固い人より、技術を持っており、
柔軟な人のほうが現場に解けこめやすいのではないかと
思います。
今の時代、学歴だけでは就職は難しいですよ、。

人の役に立ちたいなら、NGOをひとつの手かもしれません。
ただ、おかあつ様はそれなりの年齢なので将来を考えた
決断が必要かと思います。

歴史は好きな分野なので、ラオ人と議論することがあります。
ラオスは日本と同様に戦争の被害国なので共感する面が
あり、対日感情も良いのです。
ただ、日本でも同様に感情が伴うのでこの話題には注意する
必要があります。

個人的な話題ですいません。
出展 2007年02月16日 19:42 『恋し金玉砲 【 koi si kin tamahoong 】』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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